久しぶりに【ロミオの青い空】のDVDを見た。
実に何年振りだろう。はっきりとは覚えていないが、一話から見ようと思って見始めたのは数年ぶりのはず。
ドイツの【リザ・テツナー】という方が書いた【黒い兄弟】という作品が原作。それを世界名作劇場で再編し、95年の1月から放送が始まった。
丁度僕が小学校3年生になる年だったように記憶している‥‥そう、あの神戸にとっては【災厄の年】となった頃だ。
話は翻り、この話の筋は原作から少しテイストを変え、煙突掃除婦の生きる苦しみを描いた原作とは打って変わり、ロミオという少年の成長劇になっている。
約半年、ミラノという大都会で煤にまみれて生きる少年たちの友情と冒険活劇。そんな風に言えば中々清々しいが、今この歳になって見返してみれば、結構クるものがある。
その一つが、両親との別れだ。
そもそもロミオは実は暮らす父は実父ではない。つまり、血がつながっていないのだが、この時点では彼はそれを覚えておらず、育ての親を実の親と思っている。
それほどに愛情を注いでもらっていたという事だが、その苦労をまずこの歳になって感じる事が出来た。
彼の家族はもともと裕福ではない上に、様々な事故でロミオを煙突掃除婦として出さざるを得なくなる。
その時の父と母の気持ちが、今となって痛いほどに感じるのだ。
【ロミオは売らん!けだものめ!】
そう豪語する父だが、病に倒れてしまい、結局はロミオ自身にその決断をさせてしまう。この苦しみと悲しみが、彼を育てた記憶と相まって涙に変わって行く。
実はまだ3話までしか見ていないのだけれど、この時点で1話の子供らしいロミオとは決定的な違いが生じている。それは【独り立ち】をせざるを得なくなった、という環境の違いに伴って起きる、ロミオ自身の自我とも言える意思の芽生えだ。
【英雄と思っていた父が倒れ、幼い弟(双子)と働けない祖母と母を助ける事ができるのは、自分しかいない】
そう覚悟した彼の瞳はどこか強く、はかない。
とりわけ教会前でのアニタとのやりとり。ミラノに連れて行かれた子供は生きて帰れない‥‥驚愕の事実を知るも、その瞳は揺らぐものの、彼の意思をおる事は無かったんだな。
村を発つ最後の夜。目が見えない父がロミオを母と勘違いして漏らした気持ち。それを聞きながらも、ロミオは父を【英雄】と呼んだ。
だが、これは何も嘘でも慰めでもない。実際にそうなのだろうし、ロミオは【実の子ではない自分をここまで強く愛してくれた父】は、英雄以外の何物でもないのだ。
そして朝。見送る家族。そこに父の姿はない。もちろん、ベッドから降りる事が出来ないという理由もあるだろう。
だが、そこに父は要らないのだ。少年を終えようとするロミオにとって、ここにその意思と成長のために乗り越える存在は必要ないからかもしれない‥‥僕はそう思った。
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