先日、高校時代の知人からメールが届いた。
その文面はこう‥‥
『●●先生が、今朝お亡くなりになりました。参列したい人がいるかもと思い、連絡しました。日時は~‥‥』
まさしく、事務連絡以外の何物でもない文章。まぁ、こう言った慶弔関係の文書に感情をこめすぎるのは如何という部分もあるけれど、それでも何とも淡泊だ。
僕はこの先生に授業を受け持ってもらっていたが、確か1年間だけだったと思う。そのせいかあまり記憶にない。何となく、優しげだけれども、その反面あまり教育に熱心、と言う印象もない、フラットな先生の一人だった。
告別式は仕事で行けそうにないので、通夜だけは参列しようと思い、当時の知人に連絡を取ってみた。すると返ってきた返事はほとんどが【いけない】というもの。仕事や先約があるそうで、やはりこの歳になると時間を作るのが難しいのだろう。
唯一ひとりだけ参列するとの事だったので、彼と二人で葬儀場まで向かう。
夜。真っ暗な田舎道を車で進みながら、色々と思い出す事はあった。
そして葬儀場に着いたけれど、結局蓋を開けてみれば参列したのは僕ら二人と、当時の同級生の女の子が一人。
もっと一杯きているのだろうと考えていたけれど‥‥
最後、式場を後にする時に先生の奥さんと話した。奥さんは【教え子が来てくれるだなんて】と泣いていた。僕は何と言っていいのか分からず、ただ黙っていたけれど、あれでよかったのかは分からない。しかし、特にこれと言って思い出もなく、下手に妙な事を口にするよりもよっぽど良いとは思った。
最後にその友人がいった言葉。
【教え子が一人でも来れば、先生もきっと浮かばれるだろう。俺だったら嬉しい】
彼も一時教職に身を置いていたので、そんな気持ちがわかるのかもしれない。
10年前の卒業以来、初めて高校時代の時が動いた気がする。ずっとみんな変わらないと思って停まっていた時間が、突然、それも急激に流れ出したのだ。
それは先生の死という出来事によって押し流され、一気に僕は現実の厳しさと言うのだろうか、それでも地球は回っている、という重みを感じずにはいられなかった。
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