【ロミオの青い空 7~9話】を見て思う事は‥‥

 ついにミラノに到着したロミオ。

 安金で買われた彼は、ロッシ親方という煙突掃除婦の家で働くことになる。これは最たる人身売買の好例であるが、当時は石炭という新エネルギーの繁栄により支えられていた都市の生活を考えると、この違法労働力の搾取に対し、ほぼ国からの規制はなく野放しに近い状態だったという。

 彼らは狭い煙突に上るべく、食事をロクに与えられず、日々やせ細るだけだったそうだ。

 その側面を強調すべく、親方での下で生活を送るロミオには食事のシーンがない。世界名作劇場の十八番とも言える豪快でいかにもなご飯の場面が抹消されるとなると、どことなく違和感がある。だが、この違和感こそが我々の送る生活との【差】なのだ。


 ここの話では、ロミオがミラノにおける新生活に馴染む‥‥というか、綱渡りながらも生きていく場面が描かれている。

 【アンゼルモ】と【エッダ】なる悪を前に、彼は健気に自身の創意工夫で毎日をなんとかやりすごしていくのだ。時にはアルフレドから教えられた方法を思い出し、時には故郷の風景を思い描きながら。

 つまるところ、ここは人間の【適応能力】とも言える力を浮き彫りにしている。


 そしてここでは同時に、とりわけ困難な環境に適応していくには、何らかの【心の支え】となる存在が必要とも語っている。


 その一つが【アンジェレッタ】。

 そしてもう一つが【青空】だった。


 この両者があったからこそ、ロミオは辛い毎日を何とか生きる事が出来たと言えよう。もちろん、カセラ教授との出会いという運に恵まれた部分もあった。しかし、なによりも人間は過酷な環境下において、やはり陳腐ではあるが【希望】とも言えるモノを持たなくてはやっていけないのだ、とうったえかけている。

 ロミオという媒体を通し、世知辛く生き難い世を嘆く私たちに当てたメッセージなのではないだろうか。


 ここではある意味で教育は少し控えめと言えよう。

 【手紙】を通して字を覚えていくロミオだったが、それはあくまでここでは手助けと言う程度にしか描かれておらず、今後の飛躍に比べればまだまだ細やかなシーンに留まっている。

 

 新しい言葉を覚えるというのは、歳をとればとるほどに難しいと思う。

 僕も先日まで仏語を学んでいたが、今は少し遠ざかっている。何故だろう、学生時代に覚えた英語の様にすんなりとは入ってこないのだ。

 これはいわば僕の視野が狭まったからなのだろうか?

 分からないが、ロミオを見てそれを思い出す自分がいた。

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