祖父の死に際して

 昨日‥‥詳しくは平成27年12月12日の夜、母方の祖父が亡くなった。

 死因は【急性心不全】。医師の検案書によれば、突然のお迎えだったようで、苦しむ暇もなく、との事だったそうだ。


 その絡みで、ここ数日は慌ただしい日々が過ぎていった。

 本来ならば両親の都合で母と父は北海道に行く手筈で、その間飼い犬の面倒を見るべく僕が実家に戻り、守をするはずになっていた。

 14日。その前に一人高砂の西友で買い物をしていた時、不意に実家からの電話。それで僕は祖父の急逝を知る事となる。

 急いで実家に向かい、家族そろって祖父の住まいへ。既に警察の方々が見えられており、事件性はないとの事。ヘルパーの女性が第一発見者で、布団で眠る様に亡くなっていたそうだ。


 そこからは流れる様な、それでいてもどかしい様な時間が過ぎていく。

 葬儀屋の手配、検視、遺品の整理、住居の引き払いに関する確認などなど‥‥とにかく、目まぐるしい日だったとは思う。


 僕は祖父の記憶が多い方ではない。

 子供の頃は一緒に住んでいたが、ある事がきっかけで別々に住むことになったのだ。それが中学3年生の時。しかし、その時も既に半別居状態だったので、受験生だったこともあって話す事もほとんどなかった。


 そして合わぬままに月日は経っていく。


 高校生の時だったが、一度会ったきり。

 その時の思い出もあまりなく、母に言われて思い出したという程。つまり、僕にとって祖父はお世辞でなく近しい存在ではなくなってしまっていた。


 そんな立場で今更、ではあるが、それでもやはり色々と思い出すのが人の業なのだろうか。

 僕は、絵を描く事を教わっていた。というよりも、祖父が絵が上手く、その欠いた絵を見るのが楽しみだった。それが保育園か幼稚園くらいだろうか。

 僕にとっての祖父のはっきりとした記憶はそれ位しか、ない。他は何となく、怒っているイメージがあるくらい。


 そんな僕をよそに、母はやはり多くの記憶があるのだろう。涙を流し、色々と一人語地でいた。もっと行ってやればよかった、とも口にしてはいたが、それも今となってはの話。きっと生きていれば生きていたで、そうは思わなかっただろうと思うし、又いろいろと事情も変わっていただろうと思う。


 結局、どうすればよかったのかは分からない。

 これがベストだったとは言えないのは事実だが、最悪でもなかったと僕は思うのだ。母がしきりに【最期は家に帰って来れて嬉しいだろう】や【もっと生きる気だったんだろう】に、【苦しまずに死ねて良かった】と口にしていた。

 全て自分を慰めるための言葉だろうが、僕もまた同意せずにはいられなかった。詰まる所、僕もそう思って自分の心の奥底でくすぶっている【後ろめたさ】をかき消さずにいられなかったのだ。


 夕方、市の外れの山中にある火葬場で遺体を焼いた。

 骨と化した祖父は何ともあっけなく、これが人の終わりの形なのか、と思うとどこか無常な気がしてしまうもの。どれ程生きようと、どんな生き方をしようと、大抵は‥‥というか、絶対に人は死なずにいられない。

 何かを成し遂げるために生きるのだ、という論理は正しいのだとは思うが、何かを成し遂げたところで、最後は骨になるのだ。歴史に名を残そうと残すまいと、【本当のその人】を知る人は次第に消えて行き、亡くなってしまう。

 もちろんそれが世の常なのだろう。


 だからこそ‥‥その人生を決めるのはやはり、自分自身なのだとも思う。

 いくら周りから見て羨ましい人生であろうと、最後にその人は本当に幸せなのか。

 どれ程蔑まれた人生であろうと、もしかすると抱えきれない幸せを抱きしめているのかもしれない。

 それを決めるのは、本人しかいなのだ。


 祖父はどうだったのだろう‥‥?


 明日、僕は29歳を迎える。

 28歳最後の日、亡くなった祖父の記憶に思いを馳せながら過ごせた事を、良かったと思う時が来るのだろうか。

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